小学校から中学校にあがったことで、親友を失ったとしたら、その原因は、部活にある
小学校の頃とても仲の良かった「ケンイチ」という友達がいた。
小学校では、休み時間になるといつも一緒にいた。また家に帰っても、週に2、3回は一緒に遊びに出かけていた
ケンイチは小柄だったが、足が早く、サッカーもとても上手だった。
そして何より、どんな相手に対しても、悪いことは悪いとハッキリと言うような、とても正義感が強い人間だった。
そして何より、どんな相手に対しても、悪いことは悪いとハッキリと言うような、とても正義感が強い人間だった。
そんな親友だったケンイチと、中学校に入って全くしゃべらなくなった。
僕らが最後に言葉をかわしたのが、中学校に入ってすぐ、バスケ部の仮入部期間の時。
二人でお互い向き合って、チェストパスの練習をしたときに、かわしたのが最後の会話だった。
仮入部期間が終わると、僕はバスケ部に、ケンイチは卓球部に入った。
あの頃の僕は、中学校になって、大きく変わった環境になれるのに必死だった
だから、クラスも違うケンイチと、しゃべらないことも、そんなに気に留めることもなかった。
それよりも、勉強、部活でいっぱいいっぱいだった。
結局それから卒業するまでの3年間、僕はケンイチと、一度も言葉を交わすことはなかった。
僕とケンイチの関係は、小学校から中学校にあがったことで、親友から知っている人に変わってしまったのだ。
あれから20年が過ぎた。
どうして僕たちは、友達を続けることができなかったのだろうか
大きな分岐点となる要素は以下の3つだと考えている。
大きな分岐点となる要素は以下の3つだと考えている。
- 小学生から中学生に変わることで周りが強制する歪な成長
- クラス、部活など交わることのなかった僕たちの組織範囲
- それぞれが築いた、新しい友人関係
まず 小学生から中学生への強制的な成長 について考える。
小学校と中学校では大きく異なる事がある。その一つが勉強に対する考え方
日本の学校教育は、中学は高校に入るための、高校は大学に入るための勉強期間として存在している意味合いが非常に強い。
そのため、中学校の勉強の話はすぐに高校選びの話になり、◯◯高校に行けないとか、このままだと××高校しか選べないとか、周りから言われるようになる。
また多くの親は、良い企業に入れるためには良い大学、良い大学に入れるためには良い高校。そんなふうに考えているため、中学校になると、塾に通わせたり、家庭教師を雇ったりと、の熱の入れ方も変わってくる
つまり僕が考えるに、教育という観点で、これまでの小学生時代ではあまり想像していなかったような周りからのプレッシャーが、子供に対してかかってしまい、その影響で歪んだ成長をさせているのではないかということである。
そしてもう一つが、部活 である
中学生になると、4月には部活動の説明会がされ、入部希望の紙が配られる
あとは、そこに第3希望くらいまでを記入し、入部する。部活動に属さないというのは許されない。
この部活において叩き込まれるのが、先輩後輩という強烈な上下関係である。
もちろん、部活を通じて特定のスポーツなどが上手になるということも目的の一つかもしれないが、そんなものには比べ物にならないくらい、上下関係というものを体に叩き込まれる。
「先輩は偉い人であり、逆らってはいけない」
こういうことである
そして、この考え方が、大きく子どもの人格形成に影響を与えている。
少し考えればわかることだが、先輩であるだけで偉いワケがない。先輩が偉いと言われている点は、技術や知識の話ではなく、生まれた西暦と、部活における文化や習わしを経験として知っているという2点だけである。
技術や知識レベルという観点での先輩ではないのだ。
しかし、〇〇より偉いとか××より下であると思ってしまうと、何がどう偉いのか、またはどうして下なのかを考えることをやめてしまう。そう考えてしまう原因が、単に生まれた年が早いだけという理由かもしれないのに。
問題なのは、考えなくてはいけない部分が、部活時代の刷り込み上下関係の影響で、思考停止にさせられているということである。
僕は、部活による強烈な上下関係が、今の日本の貧しくしてしまっている要因の一つじゃないかと考えている。
つぎに クラス、部活など交わることのなかった僕たちの組織範囲 について考える。
ケンイチと僕は、中学校の3年間一度もクラスが一緒になることはなかった。
また部活も異なったので、顔を見たのは、学校の廊下を移動したときの数えるくらいだったと思う。
特に部活の影響は大きく、放課後は毎日部活で、帰るとご飯を食べて寝るだけ。
休みの日も部活があったので、クラスメイトと部活仲間くらいしかほとんど顔を合わせない。
つまり中学校という組織は同じだったにもかかわらず、中学校の中でつくられた行動範囲はクラスと部活だけだったため、それ以外の交友関係ができなかったと考えている
最後に それぞれが築いた、新しい友人関係 だが、
これも結局のところ部活とクラスによるものが大きい。
結局のところ、やはり長時間一緒にいることで、仲間意識がつくられるため、部活やクラス内で友人関係を築いている
こう考えると、部活とそこから築いた人間関係が影響を与えて、ケンイチとは疎遠になってしまったと推察される。
あの頃の僕に何か言えることがあるとすれば、それは部活は全てじゃない
ということ
日本の教育はやはり歪んでいる気がする
コメント