本当は、当たり前のことなのです
嫌なことは嫌だし、
好きなことは好き
理由が言えるときもありますが、理由が正しく言葉にできない時もあります
思い出してください。
子どもの頃は言えたんです。
嫌なとき、
最初は、泣いて知らせてました
そのうちに言葉で嫌だと言うようになりました
好きなときは、
笑顔で、喜びを表現しました
でも
おおきくなるにつれて
周りの人の迷惑になるとか
痛いやつと思われるとか
お兄ちゃんだからとか
大人としてとか
普通とか一般的とか
協調性がどうとか
なんかもう、いろいろ言われて成長して
気づくとなんか、思ったことを言えなくなっているんです
これは、日本社会がそうさせてしまっていると思います
僕は、
我慢する事が美徳みたいな考え方は好きではありません。
我慢して、傷に耐える自分を見て、自己満足しているように思ってしまうから
もちろん、我慢が必要な時もあります。
ただ、その我慢は、次に繋がる、未来が良くなる我慢であるときに限ります。
でも、大抵の我慢は、我慢を強いた人にとって嬉しいだけであることが多いです
ましてや、我慢により、自分と自分の大切な人達の人生を犠牲にすることであればすべきではないと思っています
多くの人は、思いを言葉にしないと伝わりません。
というか、妻や子どもにも伝わりません
言葉にしても理解されるかどうかはわかりません。ただ、自分の思いを持っていることは伝わります。
僕は、
嫌いや好きという感情は、人の個性の根幹にあるモノだと考えています
だから、これが上手く表現できないと、精神的にすごいフラストレーションになります
人と違ってあたりまえ
理解されなくてもかまわない
俺は俺、君は君
それでいい。
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